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珍嬪(ちんひん、1804年12月16日 - 1830年以前)は、清の道光帝の側室。満洲鑲藍旗の出身。姓はヘシェリ(赫舎里)氏。 誕生日は嘉慶9年11月15日(1804年12月16日)。父は正三品按察司按察使の容海。母はイルゲンギョロ氏。 はじめ、后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格し、「珍貴人」に封ぜられた。道光4年(1824年)4月に珍嬪に進んだ。翌道光5年(1825年)、「珍妃」に進んだ。しかし道光6年(1826年)、珍嬪に降格された。 道光9年11月以前(西暦1830年初め以前)、死去した。死亡と埋葬については記録がない。慕陵の妃園寝に陪葬されなかった。また、多山(珍嬪の弟)の墓志銘〔2009年6月22日、北京果子店村で出土〕には珍嬪の記録がない。 == 出典 == *『晋封珍貴人珍嬪冊文』 *『星源集慶』 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「珍嬪 (道光帝)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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